ネオンな話

休日に本気を出すクリエイティブサラリーマンの雑記。フード、アート、カルチャー。

パブリックスペースの居心地の悪さ

パブリックスペースは、パブリック=公衆に開かれたスペースである訳で、誰に対してもオープンであるかに見えるが、ぼくとしてはパブリックスペースほど居心地の悪い場所はないと思う。

みんなの場所ですからという言葉を鵜呑みにして、好き放題やった暁には顰蹙を買うのである。
自由にしていいよという許しと、みんなと合わせて気を使おうという圧力が入り混じった空間がパブリックスペースである。
その最たるものが、焼肉の網ではないか。

先日、友人と焼肉を食べに言った時のこと
友人A「みんなの分焼いちゃうね」
友人B「おれは自分の分は自分で焼く」
友人A「なんだよ、個人プレーやめろよ」
友人B「焼き方くらい好きにさせろよ!」
友人A「トング一個しかないし、それに網は共有なんだから!」

パブリックスペースである。
焼肉の網は、パブリックスペースである。
自分の好みの焼き加減があることは、非常によく理解できるし、みんなの分を焼いてあげようという親切心もありがたい。焼いてもらったお肉を頂こうという、配給待ちのぼくからしたら、どちらに反論する権利すら与えられていないと思う。与えられているのは、配給券くらいだ。
確かにぼくらは焼き肉の網を囲んでおり、共有のものであることは否定できないし、仕切って自分のスペースを構築するのもどこか寂しい気持ちもする。
そういう時は、人数分のお肉を網におき、焼きたい人は焼くという結果に落ち着く。

ただ厄介なのは、焼肉の様に枚数で配分することが困難な焼き物である。タンやカルビなど一通りメインどころを注文したらば、後半は変わり種に行くのは世の常だろう。先日の焼き肉で注文されたのはステーキであった。300gの肉の塊。お店でも名物品と銘打ったメニューであるが、パブリックスペース問題が起こっている最中、この塊の登場は火に油を注ぐ様なものだ。このどうにも分けられないステーキは、果たしてパブリックなステーキになりうるのだろうか。パブリックステーキなのだろうか。

みんなで食べるご飯って美味しいですよね。