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ネオンな話

休日に本気を出します。DYI、遊び、フード、カルチャー。

『ラ・ラ・ランド』を観たよ

先日公開された『ラ・ラ・ランド』を観た。

元々ミュージカルとかミュージカル映画が大好きだったので、正直かなり期待して劇場へ足を運んだが、なんというか"ミュージカル感"という点においてはあまり満足感を味わえなかった。

しかし、観終わった後に色々考えていたら、なんかすごいいい映画だったなと思うようになったので、その事を書きたいと思う。

 

※ここから先はネタバレがあります。

 

観た人向けで書くが、
ぼくが一番いろいろ考えさせられたのは、最後のシーン。セブとミアが再び出会ったあのシーンである。


最後のシーンの設定は、数年後、2人はとっくに別れていて、ミアはハリウッド女優という夢を叶え、セブは自分の店を開いて大繁盛出会った。ミアには夫もいて、セブは自分のやりたいジャズができる店を持っていた。

それぞれ、個々の人生で見れば、かなり成功してるじゃんと思う。だって、普通、ハリウッド映画に出たり、あれだけ人が入るお店を経営するだけでも大したものだよ。


という感じで、要はしばらく2人は離れていて、その間にそれぞれ夢を叶えていた。
そんな時に、偶々セブの店で出会ったというか、偶々ミアが入店した。

ステージに立つセブは、ミアが入店したことに気がつき「ようこそ、セブズへ」とピアノを引いたわけです。
あの曲。
セブがずっと弾いてて、ミアがずっと惹かれてた曲。

 

その曲を弾いた途端、映画中では回想シーンになる。
もし、初めて出会った時に、無視しなかったら。
もし、2人でパリに行っていたら。
もし、結婚して子供がいたら、2人でこんな店に遊びに来ていたかもしれない。

 

セブとミアは、側から見るとお似合いで、でこぼこだけど持ちつ持たれつな、いい関係だったように見える。よくある恋愛ドラマとかであれば、困難を乗り越えたのち、幸せに暮らす2人という形で描かれていたかもしれない。


ただそれはセブとミアの内側にある関係性だけを見た時の話なのかもしれない。
だって、ぼくたちは自分の夢を求めたり、友人と馬鹿なことをしたり、家族との時間があったり、いろんな方向に伸びた関係性の中で生きている。
その矢印は自分からも出ているし、他人からも出ていて、他人と他人の間の矢印に巻き込まれることもある。


だから、セブやミア、そしてぼくらをも取り巻く無数の、そして複雑な関係性の中において、セブとミアの人間関係は、2人の最大公約数だったのかもしれない。
確かに、ミアにまだ未練がありそうなセブや、セブといた時の気持ちを忘れられないミアを見ると、どこか救われなさが残る。
だが、去り際に微笑みあえたではないか。
夢を叶えた2人を祝福しあうかのように、いや夢を追いかけ続けた自分たちに対して笑ったのかもしれない。


"たられば"で語られる、ここにあったかもしれない理想を思い描きつつも、去り際に微笑みあえたのは、そんな2人が互いの関係性を受け入れたように見えた。

 

ぼくなら、あそこで微笑みを見せることができるだろうか。そんなことを考えた。